2025.11.12
私のこと2022年4月、美作保健所の所長として津山に戻りました。
ふるさと津山を離れて20年。
ようやく「いつか津山のために何かしたい」という想いに、一歩近づくことができた気がしました。
私が勤めたのは、美作保健所・勝英支所。
津山市を含む県北の9市町村を管轄する広いエリアの仕事です。
しかもその時期は、新型コロナウイルスが猛威を振るい、医療・介護現場はひっ迫している最中でした。
保健所職員も昼夜を問わず、交代で感染症対応にあたる毎日が続いていました。
そんな中で出会ったのが、地域を支える医療・介護関係者の皆さんです。
入院体制の確保や外来診療体制の整備、そして高齢者施設でのクラスター対応に自ら足を運んでくださる医師や看護師の方々の献身的な姿を見せていただきました。
クラスターの起こっている高齢者施設でも、職員にも感染が広がる厳しい体制の中で職員の皆さんが頑張っておられる姿がありました。
その献身的な姿には、感謝の気持ちと同時に、この地域に育ててもらった一人としての誇りを強く感じました。
一方で、医療従事者の不足や、救急搬送の困難、夜間診療体制の維持といった課題にも直面し、地域医療の持つ深刻な現実を肌で感じる日々でもありました。
そして、その課題は津山だけでは解決できず、県北全体で行動し解決していかなければならないものでした。
この経験を通じて、私の中の「津山市のために何かしたい」という思いは、やがて県北全体の未来を考える視点へと変わっていきました。
津山市の発展は、県北の発展と切り離せない。
ふるさとに帰り、公衆衛生の現場に立ったことで、私は津山市だけでなく県北全体を見つめるようになりました。
課題の中にこそ未来へのヒントがあると信じています。

大雪かきの際にかまくらづくり