2025.11.24
私のこと保健所長として津山に戻って1年が経ったころ、新型コロナウイルス感染症が5類感染症へと移行することが発表されました。
医療や介護の現場ではまだまだ厳しい状況が続いていたものの、一つの大きな節目を迎えたのだと感じたのを覚えています。
同時に、コロナ禍で地域の行事や人とのつながりが大きく失われていることにも改めて気づかされました。
健康を守るためには、人と人とのつながりが何よりも大切――そう思い、地域の一員として、自分にも何かできることがあるのではないかと考えるようになりました。
そんなとき、お世話になっている津山市医師会の先輩に相談したところ、
「それなら津山青年会議所に入ってみたらどうか。君が津山を知るには、それが一番いい」
と、すすめてくださいました。
「ひととつながり、まちに貢献する」。
それもまた“公衆衛生”の大事な役割だと私は思っています。
だからこそ、先輩の言葉にすぐ「やります」と返事をして、1か月後には面接を経て入会しました。
青年会議所では、保健医療という限られた分野では得られなかった気づきがたくさんありました。
社会人としての礼儀や礼節、他分野で働く方々の視点や考え方。
すべてが新鮮で、学びの連続でした。
そして何より、まさに“個性の宝庫”ともいえる仲間たち。
大学までに出会ったさまざまな背景や個性をもった友達、彼らと笑い、時にはケンカしながら過ごした日々が、自分の“うつわ”を広げてくれたように、青年会議所でもまた、多様な人との出会いが、自分をひと回り大きくしてくれるような予感がありました。
まさか、ここまでどっぷり青年会議所の活動にのめり込むことになるとは、当初は思いもしませんでしたが(笑)。
津山青年会議所は、私にとって、「社会人になってからの学校」でした。

青年会議所メンバーと

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